懐風堂日誌

同人サークル・少年迷路主宰 五戸燈火の日記

【読了】クロフツ『クロイドン発12時30分』創元推理文庫

創元推理文庫の創刊60周年を記念した名作ミステリ新訳プロジェクトが熱い。古典ミステリオタクが渇望してやまないもの、それは新訳。と言うとちょっと言い過ぎだろうか。かつて読んだ旧いバージョンももちろん忘れがたいものだが、装丁やデザインが新しくなって蘇った新訳版を読んでみたいという気持ちも心のどこかで常に持ち続けているというもの。少なくとも僕はそうだ。

 

この1月に刊行されたアガサ・クリスティミス・マープルと13の謎』に始まる名作ミステリ新訳プロジェクトのラインナップがミステリーズ!のウェブサイトにて先週発表された。予定されている作品群を見るとまさに錚々たる顔ぶれ。ありがとう創元推理文庫。これで今年も生きていける。久しぶりの再読となる作品もたくさんあって本当に楽しみだ。

 

その新訳プロジェクトの第2弾としてこの2月に刊行されたのがF・W・クロフツ『クロイドン発12時30分』。倒叙ミステリの傑作として、また『樽』と並ぶ代表作としてしばしば言及される作品である。クロフツ作品は多くが創元推理文庫から出ているものの絶版になっているものもまた多く中古でも値が上がっていたり。なので新版が出てくれるのはありがたい限り。

 

 さて、本書の感想を。世界恐慌の煽りを受けて破産が目の前に迫った電動機製作所の社長が打開策として遺産目当ての殺人に手を染める、というのが簡単なあらすじ。ありがちな設定だが、倒叙形式という叙述スタイルがとてもうまく効いている。犯人がいかに悩み、あの手この手で現状打破を図りつつも、ついには犯罪へと駆り立てられていく様はいつの時代の人間にとってもリアリティをもって迫ってくるものだと思う。この犯人は生きるために殺人を犯し、もちろんそれは断罪されるべきことであるが、我々自身がこうならないとは全く言い切ることはできないだろう。古い作品ではあるが、色褪せない現実感が本書には漲っている。

 

いわゆる倒叙形式のミステリでたまに見かけるものがある。解決編において探偵役が犯人の行動をそのままそっくり繰り返すだけで終わってしまうパターンである。これはさすがに退屈する。本書においても探偵役がまるで犯人の行動を見ていたかのように(仮説とは断りながらも)語る場面があるが、いかにして犯人の足取りを辿ったのか、どんなところに穴があったのかを指摘していく部分は謎解き要素もあって非常に面白かった。

 

個人的に本書で特に印象に残ったのは法廷闘争のシーンだ。犯人が逮捕され、そこから一気に解決編へと向かうのかと思いきや、ページ数を見るとまだ100ページほど残っている。後半4分の1ほどが法廷における弁論に費やされているのはなかなかユニークだ。しかし決して退屈する場面ではなく、この物語におけるクライマックスにして最も本格ミステリとしての面白みを味わうことができる場面になっている。店内の暗さに焦点を当てた論理バトルは見事と言わざるを得ない。犯人の比ではないが、ここにおいて読者も事件の顛末がどう転ぶのかハラハラドキドキさせられるに違いない。

クロイドン発12時30分【新訳版】 (創元推理文庫)

クロイドン発12時30分【新訳版】 (創元推理文庫)