懐風堂日誌

同人サークル・少年迷路主宰 五戸燈火の日記

【読了】ドロシー・L・セイヤーズ『死体をどうぞ』創元推理文庫

本書は1932年に発表されたピーター・ウィムジィ卿シリーズの第7長編である。シリーズ中では『学寮祭の夜』に次ぐボリュームを誇る大長編で、セイヤーズの作風と推理小説の神髄を存分に味わうことができる傑作だ。

死体をどうぞ (創元推理文庫)

死体をどうぞ (創元推理文庫)

 

舞台は英国南西部、海岸沿いの保養地。実在の地形をもとにプロットが創られたという前作『五匹の赤い鰊』とは対照的に、本作ではプロットをもとに地形を創ったらしい。そんな作者の宣言が冒頭に掲げられていて、その文意は登場する人物・地名は実在のものではありません程度のものなのだろうが、この謎を解いてみよといわれているような気分にもなる。「死体をどうぞ」という邦題も素晴らしい。本作ではたったひとつの死体に登場人物全員がそして読者が最後まで翻弄されることになる。その死体だが、足跡のない砂浜と海に囲まれた岩の上で発見される。悪趣味な探偵小説マニアはこういうのがお好きなんでしょといわんばかりの、とても魅力的なある種の密室状況だ。第一発見者は前々作『毒を食らわば』で劇的な登場を果たしたハリエット・ヴェイン嬢! さて、ここまでシリーズを読んできた人なら、ハリエット先生、またもや厄介な状況になってしまってと心配してしまうところだが、そこはセイヤーズのすごいところ、再びハリエットが窮地に立たされる(つまり探偵小説のお約束的にまずは第一発見者を疑え)なんて陳腐な展開にはもちろんしない。本作ではハリエットもピーター卿とともに探偵として西へ東への大活躍。自身がかつて殺人容疑をかけられ、今回も危うい立場にあるということを自己言及的にパロディ化してギャグにすら変えてしまうところは、本当にしたたかなひとりの人間、ハリエット・ヴェインのキャラクターが見事に描かれている。

 

不可解な状況で発見された死体。その謎を解くため、さまざまな登場人物、あるいは証拠物件の「証言」が積み重なるようなかたちで物語は進行していく。そのたびに事実だと思われたことが二転三転、探偵役もそして犯人すらも予期しない方向へと転がっていく。本作のトリックを被害者の特徴それひとつに還元してしまうのは簡単だがその見方はやはり面白くない。セイヤーズの他の作品にもいえることだが、なんだそんなことかという陳腐な謎が、巧妙なプロット、魅力的な人物造形、ストーリーテリング、ペダンティズムなど作品を構成するさまざまな要素と見事なバランスで絡み合って極上の物語が作られている。トリックがどうとか、フーダニットとかハウダニットとかいうまえに、推理小説は小説であり物語だ。本作も偏狭なトリック観を適用してネタバレしようと思えば簡単にできるのだが、そんな「ネタバレ」に意味はないだろう。あるいは勘のいい人なら第1章を読んだ時点でトリックにピンとくるかもしれない。しかしそこで本書を投げ出してしまうのはあまりにももったいない。この錯綜したプロットが語るストーリーと謎は全編読んで初めて立ち上がってくる。そこにどんな景色を読み取るのかが、私なりの推理小説の楽しみ方である。