懐風堂日誌

同人サークル・少年迷路主宰 五戸燈火の日記

十一月三日。

麻雀の事。天鳳にて二段に昇進しつ。初段から二段まで上る為に、多少の時間を費やしけり。

思へらく、ここに初心者と中級者の壁やはある。麻雀の法則を知り、役を作らんとするのみにて、運に任せて遊びたるとも、初段まで上るは容易かるべし。されど、初心者ゆゑの闇で、自らの手配を見るばかりなれば、独り相撲をとるが如く、勝利の道には繋がるまじ。

然るに麻雀はいかなる遊戯なるや。即ち、一種類四枚の牌の残りたる数を数へる遊戯ならん。見えたる牌から見えざる牌を測り、引くべき牌の多く余れる道筋を解く遊戯ならん。この大局観の転換を俟たずして、段位の梯は上り難かり。

又、一局のみの勝利に拘りて、降りることを知らざるも、上達を阻む素因なるべし。麻雀は四人で遊ぶものなれば、必ず一位から四位までの、順位の決するが定めなり。いかに技をよくすれども、運の要素も多かれば、連戦必勝などあり得べからず。

ゆゑに、最下位を避け得れば、勝ちと呼做して良かるべし。負けぬ麻雀を打たんとする為に、降りるべくは降り、勝ちを譲るも必要ならずや。たとひ高得点の望める配牌なりとも、上れず終れば泡沫の、夢のみならず振り込めば、憂き身を歎くばかりなり。

畢竟、麻雀は牌を介せし敵手との対話ならん。そこには奇計術計を巡らしたる各個の意思が働きたり。牌の色は運なれど、動かすその手は生きたる人の、勝利を追いたる情念なれば、豈それをうち目守らずして自らの勝ちを得べきや。