懐風堂日誌

同人サークル・少年迷路主宰 五戸燈火の日記

八月八日。

昨夜、わりなき情動の脳中を巡りてなかなか寝つかれず。獅子身中の虫の組織を蝕むに似たり。目覚めて後も却つて疲労を感ず。

余が心身を蝕む虫は、死の恐怖といふ虫なるべし。この虫の余に取り憑きて二十数年ばかり経たり。始め水中にありて、水底の闇より余が脚を掴みけり。忽ちにして死とは全感覚の恒久的なる消滅なりと覚りけり。天国なければ地獄もなし。ただ意識の消滅あるのみにして、消滅せしを知る術もなし。幼き余が精神にこの恐怖深く残りたりけり。折に触れて、鎌首をもたげるが如く、襲い来りては余を苛むこと果つるを知らず。

死の恐怖は生の恐怖ならんや。抑も、死は経験不可能事ならば、その恐怖なるもまた仮想的なるべし。真に恐怖を覚えたるは、心身の消滅故にあらず、死に因りて生の意味の一切無に帰するべしという思想が故なり。生に意味なければ、これより先の生にもまた意味なく、疾く死すべきが最適解ならん。而して死の恐怖が死の希求を産みたり。かくの如き状態は麻薬中毒に似たり。己の苦しみたる状態を、望まずして懸命に維持したり。或は陰謀論に迷ふに同じ。抑も人なる身には解決不可能なる領域に因果を求め、己に正当性あるを誇示せんばかりなり。

生に意味あるなしとに拘らず、人はただ己が生を生るのみなるべし。然れども、かくの如き抽象的正論に現実世界を生る力はなし。己が如何に現実世界にあるべきかの構想をこそ持つべけれ。蓋し、因果あり。恨むべき過去あり。求むべき責あり。これらを以て己が依つて立つ基礎とするべからず。然るは陰謀論を信ずる者と同類にやあらん。真に己を益するところの道をば先ず信ずれば、恐怖の念を飼ひ馴すに通ずるなり。