懐風堂日誌

同人サークル・少年迷路主宰 五戸燈火の日記

太田忠司『月光亭事件』読了

私がこれまでに読んだことのある太田忠司先生の作品は『僕の殺人』ひとつきりだった。たった1作読んだだけでこういうことを言うのはちょっと気が引けるのだが、この1作だけで私は太田忠司先生の描く世界に全く魅了されてしまった。つまるところ、いわゆるひとつのファンになったというわけだ。しかしそこから先、すなわち今に至るまでが長かった。これは私の悪い癖だ。この作家の作品は間違いなく好きだ。大好きだ。という確信を持ってしまったら、他の作品を買うだけ買って、手元に置いて、そして読まなくなってしまうのである。積読というやつである。間違いなく好きだから、読んでしまうのがなんとなくもったいないような気がするのである。あるいは物語に取り組む前から、物語の終わりに直面するのが怖くなってしまうのかもしれない。まことに難儀な心理状態だ。しかし今回またひとつその壁をぶち破って、ようやく積読を崩すことに成功した。少年探偵・狩野俊介の活躍を描くシリーズの第1作『月光亭事件』を読了した。

月光亭事件 (創元推理文庫)

月光亭事件 (創元推理文庫)

 

 今回読了したのは創元推理文庫版である。こちらの方が新しい版で、もともとは徳間書店から単行本が出て、いくつかは徳間文庫に入っている模様。徳間文庫版の方はいかにも90年代といったアニメ風の表紙絵で、そちらも味わい深いものがある。創元推理文庫版は"文学少女"シリーズなどで知られる竹岡美穂先生によるイラストが表紙を飾っている。

 

引退した名探偵・石神法全、彼の弟子であり事務所を受け継いだ私立探偵・野上英太郎のもとをひとりの少年といっぴきの猫が訪れる。石神法全の友人だという少年はまだ12歳。探偵の卵である主人公・狩野俊介くん。そして愛猫のジャンヌ。

 

「少し皺の寄った黒のスーツに黒の短靴、そして黒いハンチング帽」といった装いで登場した礼儀正しい男の子。「元気で張りのある声」に「大きな瞳が表情豊かに輝いている」。間違いない、美少年だ。12歳の少年が大人のようなスーツを着ているというギャップ、最高に萌えますね。表紙イラストはこの描写に依ったものでしょう。探偵の卵とはいえ既に貫禄のようなものを感じる。

 

もちろん狩野俊介くんは見かけ倒しではない。探偵小説でのお約束、初対面での名推理をバッチリ決めて野上さんや読者を驚かせてくれる。そんな推理力抜群の俊介くんだが、まだまだ12歳の子供である。性格的な弱さや両親がいないという困難などいろんな問題を抱えていて、彼の成長がこのシリーズの読みどころであるのは間違いないところ。それは月光亭事件における重要なテーマとも密接に関わってくる。

 

ネタバレにならない程度に感想を。まず、推理小説といえばやはり登場人物の一覧表である。本文に入る前に地味に時間を使うアレである。ここから既に仕掛けは始まっている。悪趣味な探偵小説愛好家であれば、いやそうでなくとも、名前の関連性に気づくはず。ひとり足りない――と。そしてその空席の候補となる人物がふたりいる。いや、最初はどうしてもひとりに注目してしまう。3人まで女子ならもうひとりも、という先入観である。その仕掛けに気づいたなら、空席を埋めるのはあいつだと判る。いやでもそれを逆手に取って、と妄想が暴走するのである。これだからミステリはやめられない。途中まで私もこの名前の問題については翻弄された。

 

読者がどういった読み方をするかということを逆手に取った設定上のミスリードや、大掛かりな密室トリックに隠された小さなトリック。本作における仕掛けはまさに推理小説のお手本と言えるものだと思う。とてもいい意味でわかりやすい。もちろんそれは答えがすぐ判ってしまうという意味ではない。とても巧妙に隠されているけれど蓋を開ければ呆気ない、しかし納得感がある。よくできた推理小説というのはこういうものだと私は思う。

 

『僕の殺人』でもそうだったが、太田忠司先生の描く少年が私はとても好きだ。どこか大人びていてしかし少年らしさも併せ持つ。未完成で不完全に揺れる、しかしそれは何物にも代えがたい一瞬で永遠の煌めき。それは青春と呼ばれるものだと私は思う。

 

青春は少年だけのものではない。狩野俊介シリーズは、俊介くんの父親のような役割を果たす野上探偵の青春の物語でもあるようだ。彼を取り巻く物語もとても気になるところである。

 

太田忠司先生の作品は、宿少シリーズや甘栗シリーズ、もちろん殺人三部作も、気になるのがたくさんあってたくさん積読しているので頑張って読み進めていきたい。狩野俊介シリーズもなるべく早く続きを読みたい。そして後期作品も創元推理文庫から出ないかな?