懐風堂日誌

同人サークル・少年迷路主宰 五戸燈火の日記

【読了】鮎川哲也編『硝子の家 本格推理マガジン』光文社文庫

島久平「硝子の家」という作品のことを初めて目にしたのは確か二階堂黎人先生の二階堂蘭子シリーズのなかでだったような気がする。同シリーズでは過去の有名無名推理小説が数多く引用され、ある種の参考書のような様相を呈するものまであるが、「硝子の家」がどの作品で言及されていたかは曖昧な記憶しかない。一人称視点の「私」の述懐で密室物の古典的傑作という風に取り上げられていて気になって調べたような記憶がある。気になって調べることができたからいま実際に「硝子の家」を読むに至ったわけなので、気になって調べたという記憶に間違いはない。だがどの作品で言及されていたのかが思い出せない。確か人狼城後のラビリンス編のどこかだったと思って『魔術王事件』などをざっと見返してみたが該当箇所を発見できなかった。『悪魔のラビリンス』収録の「ガラスの家の秘密」の冒頭で「硝子の家」からの引用があるのだが、どうもしっくりこない。まぁ、考えたところで詮無いことなのでこの話はここまでにして。

硝子の家―本格推理マガジン (光文社文庫)

硝子の家―本格推理マガジン (光文社文庫)

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 1997/03
  • メディア: 文庫
 

本書は1997年に発行された「本格推理」シリーズの特別編で、文庫本でありがなら中身は雑誌のような形態をとっているなかなかユニークな本だ。収録内容は「第一部・幻の名作」として島久平「硝子の家」、山沢晴雄「離れた家」、天城一「鬼面の犯罪」の3作品と「第二部・“本格”の鉄則」としてヴァン・ダイン「探偵小説作法二十則」、ノックス「探偵小説十戒」、山前譲「必読本格推理三十編」の3編となっている。

 

小説3作品はいずれも戦後の作だが、いまとなっては古典と呼んでも差し支えないものだと思う。本書が発売された当時はいずれの作品も単行本化されておらず、故に「幻の名作」という風に紹介されているが、現在では「離れた家」は『離れた家―山沢晴雄傑作集』に、「鬼面の犯罪」は『天城一の密室犯罪学教程』に収録されている。どちらも日本評論社から日下三蔵氏の編集で発行されたもので、密室犯罪学教程は2005年版のこのミスの第3位に選ばれているため目にした人も多いのではないかと思う。

 

以下、各作品の感想を。

 

島久平「硝子の家」

私立探偵・伝法義太郎の事務所をとある青年が訪れ、これから自分が行う完全殺人を捜査してほしいという依頼をぶち上げるところから物語はスタートする。

「いいかね。僕は君に宣言する。僕は叔父大峯幸一郎を殺す。犯人は絶対に僕である」

冒頭たった10頁で描かれる謎の依頼人と探偵役の緊迫感あふれるやり取りで私はもうダメだった。こういうのが大好きすぎるんだよ私は。殺人の起る前に犯人を見つけると言った奈々村久生を思い出す。挑戦的な大言壮語はそれ自体読者をミスリードするトリックとして機能することもあるし、物語を盛り上げる効果は抜群だ。一方、自称犯人の宣言を受けた伝法探偵はまるで興味のなさそうに依頼をはねつけようとする。その後結局事件に巻き込まれていくわけだが、この探偵役のキャラクターも面白い。

 

作中では硝子というモチーフがさまざまなかたちで登場する。なかには硝子が大きく関わるトリックもあるが、メインとなる密室トリックはあまり硝子が関係なくてちょっと拍子抜けした。ただ、タイトルになっている「硝子の家」という言葉は事件の動機面において二重の意味をもって、ゾッとするような恐怖とともに迫ってくることになる。犯人の告白状と自殺をもって事件が終わるところは難点だろうが、硝子の破片が突き刺さるような読後感があって私はとても満足したものだった。

 

「硝子の家」では伝法探偵の助手として六郎少年と近藤青年という2人が登場する。寂れた探偵事務所暮らしの3人という誰もが憧れるようなシチュエーションも本作の魅力だろう。ただ、作中の記述は三人称視点で、六郎少年と近藤青年が同一場面に登場するとどっちがどっちかわかりづらいという欠点がある。まぁ、雰囲気だけでも充分楽しめるところではあるが。伝法探偵が登場する作品は他にもあるようで、近年刊行されたものだと河出文庫島久平名作選 5-1=4』(こちらも日下三蔵氏の編集)がある。また論創ミステリでも島久平は候補に上がっているみたいで刊行を期待したいところだ。

 

山沢晴雄「離れた家」

こういったアンソロジー的な本を読むと目当てのものとは違うところで思わぬ収穫がままあるものだ。「離れた家」はまさにそれだった。いやぁ、すごい。よくまぁここまで考えるものだとただただ感心してしまった。

 

山沢晴雄作品はその文章が難解なことに定評があるらしく、本作の序文でも鮎川哲也は「内容が把握できかねた」と書いているほど。本書に収録の「離れた家」は改稿されて少しはマイルドになったものらしく、最初はどんな代物だったのか非常に興味のあるところではある。

 

本作のトリックは人間消失奇術とアリバイ工作の合わせ技である。同時刻に同一人物が2つの場所に存在することはできないという世界の理をいかにして破ったかのように見せかけたのか。最初はものすごく単純に思えたトリックが、だんだんと複雑になっていき、推理は二転三転とひっくり返り、分刻みの時刻表とともに論理的な解決へとたどり着く。こんなん上手くいくわけないだろと本を投げ捨てる向きもあるかもしれないが、私はただただ舌を巻く思いだった。推理小説は現実に可能かどうかというリアリティより、実際に起こったこととしてその上での論理性が保障されていてほしいものだ。まさに本作はここまでやってこその本格推理というお手本のような作品だと思う。

 

天城一「鬼面の犯罪」

私は『天城一の密室犯罪学教程』を既に履修していたので(成績のほどに自信はないけれど)本作については再読となった。とても癖の強い探偵役・摩耶正が活躍するシリーズのひとつで、短いなかにユニークなトリックが使われていて面白い。本作もガラスがモチーフのひとつになっていて、「硝子の家」に与えた影響も考えられることなどから本書に取り上げられたようである。

 

「本格推理小説はトリックの着想から始まるというのは乱歩が広めた偏見です」と言い切る作者の解題もかなり面白い。というかこちらの方が面白かったかもしれない。本格推理とはどのようなものであるか。トリックよりロジックを重視する理念には共感するところが多々ある。

 

ヴァン・ダイン「探偵小説作法二十則」

かの悪名高き二十則である。これを読むといかに推理小説の歴史がこういうルールを破ってなお推理小説としての骨格を失わなかった傑作によって作られたのかがわかるだろう。

 

ノックス「探偵小説十戒

同じく悪名高き(ry。二十則に較べて十戒の方はそこそこ簡潔であるため、その十戒の最初の1文だけがひとり歩きして広まっている現状があると思う。例えば5番目の「中国人を登場させてはならない」なんかはいまでは物笑いの種となっていることも多いのではないか。しかしこの文章は英国で戦前に刊行されたアンソロジーの序文として寄せられたもので、いわゆる十戒の部分の前後にもそれなりの量の文章が存在している。そういった全体の文脈も踏まえて読むとまた違った趣があるもので、それほど荒唐無稽なものではないとわかるだろう。文脈、大事よね。

 

山前譲「必読本格推理三十編」

戦前から昭和30年代にかけての長編作品の傑作を紹介したもの。近年では戎光祥出版から刊行のミステリ珍本全集第8回配本『風花島殺人事件』が、この「必読本格推理三十編」に入っていたとして脚光を浴びたのはまだ記憶に新しい。古典的推理小説の入門書としては(私が読んだことのある範囲では)間違いないものばかりが挙げられていて、こういったもの参考に読書の幅を広げる人も多いのではないかと思う。私としてはまだ読んでいない作品もいくつかあるので早く読破しておきたいものだ。