懐風堂日誌

同人サークル・少年迷路主宰 五戸燈火の日記

【読了】エリー・アレグザンダー『ビール職人の醸造と推理』創元推理文庫

まずは表紙を見てほしい。これが全てを物語っている。新ジャンル、クラフトビール・ミステリーといったところだろうか。ミステリ好きかつビール好きの僕としては思わず手に取らずにはいられなかった。 

ビール職人の醸造と推理 (創元推理文庫)

ビール職人の醸造と推理 (創元推理文庫)

 

本作はアメリカに実在する田舎町を舞台としている。ワシントン州というからには、地図で見るとアメリカ合衆国の左上の端っこあたり、州都シアトルは日本人には馴染み深い名前だろうけれど、そこから車で2、3時間ほど内陸へ走ったところにある小さな町「レブンワース」。Googleマップで調べてみると確かにあった。本の中に出てきた名前もそのまま。ワナッチー川、コマーシャル・ストリート、ブラックバード島。ドイツのバイエルン地方に似た町並みで有名というのも、どうやら本作で描かれている通りらしく、検索してみると「シアトルのドイツ村」といった風に紹介しているサイトもあった。本作の設定ではクラフトビールで有名ということになっているが、その点も現実通りなのかはわからない。しかし現実のレブンワースにもブルワリーは存在するらしく、一度旅行に行って確かめてみたいと思ったり。

 

ともあれ、実際に旅行に行かずとも、本作を読むだけで充分であるかもしれない。それくらいレブンワースの町についての描写は細密だ。主人公はこの町のブルワリーで働くビール職人にして高校生になる男児の母親。彼女は夫とその両親が営むブルワリーで平穏無事な生活を送っていたが、夫の浮気が発覚してから生活が一変する。というのが物語のあらすじで、主人公の生活そのものがこの物語の中心である。だからこそ生活の場である町についての描写には力が入っているように思う。観光で訪れてもこういう風には見えないだろう。

 

作中にはビールに関して、ビール造りに関しての知識がたくさん登場する。普段は本を、あるいはミステリを読まないというビール好きの人にもオススメである。作者も謝辞で書いているように、きっちり取材した上で書かれたものらしく、ビールの醸造工程での職人のこだわりが生き生きと描かれていて面白い。また主人公は腕利きの料理人でもあって、手作りのカップケーキやコーンチャウダーなどなど、たくさんの料理も登場する。こういったところにもアメリカの田舎の生活が垣間見えるようで非常に興味深い。

 

推理小説としては、いわゆる本格ミステリのような大掛かりなトリックはないので、悪趣味な探偵小説愛好家には物足りないかもしれない。しかし、ただ単にブルワリーで殺人事件が起きただけではなく、その事件の裏側には競合するブルワリーやホップ生産者なども見え隠れしていて、ビール業界の現状を背景にしているようにも思える。序盤から伏線がきっちり張られていて、殺人事件以外のところにも魅力的な謎があって最後まで飽きることなく読むことができた。

 

思えば、海外の現代ミステリを読むのはもしかしたら初めてかもしれない。どこからを現代ミステリとするのかによって範囲は変わってくるだろうけれど、少なくとも2000年以降に書かれた作品を僕は読んだことがなかったと思う。海外のミステリに関しては専ら古典ばかりで、この作品についてもビールというキーワードがなかったら手に取ることはなかった可能性が高い。本作の続編は海外では既に発表されているらしいので、翻訳されたら是非とも手に取ってみたいと思う。