懐風堂日誌

同人サークル・少年迷路主宰 五戸燈火の日記

坂口安吾『不連続殺人事件』(新潮文庫)読了

 

※本稿には『不連続殺人事件』のネタバレが含まれる可能性があります。注意散漫の状態では読まれないことをオススメします。

 

3回目くらいの読了、だと思われる。私の記憶に間違いがなければ。

 

初めて読んだのはたしか角川文庫版で、読書メーターの記録によると5年半ほど前の日付で読了となっている。しかし、その後、少なくとも青空文庫で1回は通しで読んだ記憶がある。青空文庫は思い出したときに、思い返したいときに、あるいはなんとなく手持ち無沙汰のときに、眠れない夜に、などなど適当な理由をつけて拾い読みしたりするものなので、複数回読んでいる計算になるかもしれない。ちなみに青空文庫に掲載されている『不連続殺人事件』はちくま文庫坂口安吾全集を底本としている。角川文庫版の底本はなんだったか……。いま手元に角川文庫版が見当たらないので確認できなかった。

 

今回の新潮文庫版は創元推理文庫「日本探偵小説全集」の「坂口安吾集」を底本としているとのこと。そして『不連続殺人事件』だけでなく、珠玉の短編「アンゴウ」も併録している。巻末には戸川安宣氏と北村薫先生の対談、これも必読である。現時点における『不連続殺人事件』はこれで読むべし、と言っても過言ではない作品となっている。

 

正直言うと、私はそこまで小説を何回も繰り返し読む方ではない。好きで好きでたまらない本でも3回以上読んだものとなると少ない。2回目を読んだものもやはり多くはない。いくつか例を挙げると、中井英夫『虚無への供物』、京極夏彦『絡新婦の理』、麻耶雄嵩『翼ある闇』、笠井潔『バイバイ、エンジェル』、横溝正史『獄門島』、ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』、モーリス・ルブラン『奇岩城』などだろうか、複数回読んだものは。坂口安吾『不連続殺人事件』はこれらに連なるものである。率直に言うと、好きで好きでたまらない作品のひとつだ。

 

『不連続殺人事件』は1947年から翌48年にかけて雑誌「日本小説」に連載され、同48年末に単行本が発売、第2回探偵作家クラブ賞(現在の推理作家協会賞)長編賞を受賞している。第2回探偵作家クラブ賞の長編部門と言えば、高木彬光『刺青殺人事件』、横溝正史『獄門島』、木々高太郎『三面鏡の恐怖』が他の候補で、これらを抑えての受賞であるからして、もういかにヤヴァイかという話である。

 

中身については、もうなにもいうことはない(爆)。読めばわかる。最高である。初読のときは、のっけから登場人物がたくさんたくさん出てきて、しかも探偵小説のお約束的に、その関係性がもつれにもつれているから、なんともわけがわからないというか、覚えているのがひと苦労というか、とっつきにくい印象だったように記憶しているけれど、改めて読んでみると、とてもよくまとまっている第1章だと思う。タイトルの通り、まさに「俗悪千万な人間関係」。本作のトリックそのものといえる"人間関係"が余すところなく描かれている。

 

推理小説というジャンルに対する批判としてたまによく見かけるやつがある。推理小説は再読に耐えない、というやつである。推理小説というものは、だれそれが犯人であるとか、どういうトリックが使われているとか、いわばそういうネタが全てであって、それがわかってしまっている状態では読むに値しないというやつである。ハッキリ言って、ナンセンスにもほどがある。ネタがわかって読む推理小説ほど面白い小説はない。もちろん、なにも知らない状態で読む1回目の感動はやはりなにものにも代えがたいものではあるが、ネタを知ってまた最初から読むと、見落としていた伏線に気づいたり、作者はどうやってトリックを仕掛けてきているのかとか、前例となるような作品の影響を受けているのだろうかとか、いやいやそうではないのだろうかとか、いろんな妄想を暴走させながら読むことができる。再読までの期間が開けば、自分も年齢を重ねて、他にもいろんなものを読んで、以前とは読み方も変わっているだろう。1粒で2度も3度も4度も美味しい。よくできた推理小説ほど読めば読むほど味が出てくる、魔法のガムみたいなものである。

 

私も初めて『不連続殺人事件』を読んだときはまだそれほどたくさん推理小説を読んではいなかった。いまもそれほどの読書量ではないけれど、あの頃よりもちょっとはいろいろ読んでから読む本作は本当にいろいろと気づくところが多く、なによりもめちゃくちゃ面白い。犯人もトリックも知っていてなんでこんなに面白いのか。

 

本作の紹介において必ず用いられる「心理の足跡」というフレーズ。まさに本作のテーマでありメイントリックであるところの心理の足跡。ここに答えがあるということは、裏表紙の紹介文を読むまでもなく、作品の冒頭においても明確に示されている。

我々文学者にとっては人間は不可解なもの、人間の心理の迷路は永遠に無限の錯雑に終るべきもので、だから文学も在りうるのだが、奴にとっての人間の心は常にハッキリ割り切られる。

坂口安吾『不連続殺人事件』新潮文庫(2018), p36

ここでいう"奴"とは巨勢博士のこと。第2章「意外な奴ばかり」において登場する本作の探偵役・巨勢博士について書かれたこの1文こそまさに重大なヒントである。そして推理小説というジャンルそのものについての作者の見解もこの1文には含まれていると考えることもできるように思われる。いわゆる、推理小説=ゲーム論というやつである。

 

その、推理小説におけるトリック。例えば、なにかしら物理的な方法を用いて密室を作ったのだとか、あえて人目につくような奇矯な行動をしてアリバイ工作をしたのだとか、いささか食傷気味なそういうトリックに終始するようなミステリが、おそらく坂口安吾は嫌だったのではないだろうか。上記の引用にもあるように、錯雑たるべき人間の心理も「ハッキリ割り切られ」ないことには犯人当てゲームとしての推理小説は成立しない。だから、なんでそんなめんどいことしたん? って思ってしまうような納得感に乏しいトリックであっても、論理的に解くことができるのなら、推理小説としては全然成立する。しかし『不連続殺人事件』においては割り切れそうもない人間心理がテーマである。論理と心理。対立しそうなふたつの概念であるが、心理にも論理がある。人間心理の理屈がある。こういった状況では人間はこういった心理状態に置かれて、こういった行動をするだろう。そういった理屈がある。人間そのものを不可解なものとして、その多様な側面を描く文学もあるだろうけれど、本作においては人間心理の論理を逆手に取って人間を描ききっている。

 

第24章で巨勢博士が帰還し、事件の真相を語り始める。以降が本作の解決編となるわけだが、改めて読んでみて、もう感涙に耐えないといったところである。本作においては横溝正史八つ墓村』ばりに人が死んでいるので、個々の事件のトリックについてもいちいち唸らされずにはいられないのだが、やはり第27章「心理の足跡」、ここの巨勢博士の語りは何回読んでも度肝を抜かれる思いがする。

 

 

※改めて注意喚起、ネタバレが嫌いな人は回れ右。サア、オイチ、二、オイチ、二。

 

 

 『不連続殺人事件』におけるメイントリック。それが例えば殺害の方法であるとか、密室の方法であるとか、アリバイ工作であるとか、ではなく、作中におけるとあるシーン、ほんのささいなエピソード、それそのものの必然性に置かれているところが、本当に素晴らしい。本当の本当に最高。初めて読んだときもやはりここで死ぬほどビックリしたのを、これはハッキリと覚えている。

 

物語というものにはある種の型式がある。こういう場面ではこういう展開をする、というようなお約束がある。王道と呼ばれるものがそうである。アニメや漫画や映画やドラマや演劇や小説や、いろんな物語に触れている人であれば、意識的か、無意識的か、スッと納得できる物語のパターンというものは体得しているはずである。やはり面白い物語というものはこの王道パターンをしっかり踏まえているものが多いように思う。『不連続殺人事件』における「心理の足跡」のトリックはこの王道パターンを逆手に取ったトリックであるようにも思う。

 

あやかさんがあの場面で味方のいない戸外へ逃げ出す。巨勢博士に説得されるとたしかに不自然な行動である。しかし、物語としては、敵に襲われて脱兎の如く逃げ出すというのは、いかにもありそうな場面である。その行動だけに着目するのであれば、物語の上ではあまり違和感のない場面とも読める。さらに深読みするならば、物語を盛り上げるために、あえて作者はあやかさんにそういった行動を取らせたのだ、と読むこともできるだろう。果たして、作者が、読者がそういった読みをすることまで想定して書いたのかどうかはわからないが、あの不自然な場面を、至極当然のように描いた作者の力量に感動せざるを得ない。

 

そしてクライマックス。これまで最悪の人格(?)として描かれてきたピカ一氏の変身である。最後2頁のピカ一の台詞はもう涙なしには読めない。これぞ名犯人。まさに本作の主役である。犯人が自殺して終わる推理小説はたくさんある。前時代的な勧善懲悪に終始するような、いささかウンザリする作品もたくさんある。

バカだったよ。死ぬ必要はなかったのだ。待合のオカミや女中ごときが現れたところで、それが何物でもないではないか。そんな証拠を吹きとばすぐらい、それぐらいの智恵をオレに信じてくれてもよかったじゃないか。

坂口安吾『不連続殺人事件』新潮文庫(2018), p358 

 どれほどの証拠であれば犯人であると確定できるのだろうか。やはり納得感に乏しい作品はたくさんある中で、このピカ一の台詞はそういった推理小説へのアンチテーゼでもあるように思う。それでもなお、彼が自殺を選ばざるを得ないのは、愛する者の後を追うという、究極の愛、その幻想、そして絶望に尽きる。こんなの、泣くしかないやん。生きてほしかったって。

 

テキトウなことを述べるのならば、あやかさんが自殺せず、ピカ一が巨勢博士の推理をひっくり返していたらどうなっていたのだろうか、そんな妄想は尽きることがない。そんな世界線も読みたい。こんな悪趣味な読者の感想を聞いたら、天国の安吾先生はどう思うだろうか?

 

不連続殺人事件 (新潮文庫)

不連続殺人事件 (新潮文庫)